六地蔵寺とは

本寺は、山号を倶胝密山、院号を聖宝院と称し、別名「水戸大師」と尊称を頂く真言宗の寺院です。古くから安産子育ての霊場として知られ、毎日多くの方が御参詣されております。また、関東における教学の中心となる檀林であり、末寺二十五ヶ寺を有する本山でございます。

開山は平安初期の大同二年(807年)。その後室町時代の永享元年(1429年)に、宥覚上人によって中興されました。さらに、室町時代後期には第三世の恵範上人が西国の諸大寺へ遊学し、経典の収集・書写に努めた事により、本寺は檀林となり、多くの著名な学僧・修行僧を輩出いたしました。大和国長谷寺(現奈良県桜井市)第三世能化宥義上人(本寺八世)もその御一人です。

また、六地蔵寺(中世までは六蔵寺とも称す)は、古くは大掾氏との結びつきが強く、その庇護下にありました。近世には佐竹氏、さらには水戸徳川家となりますが、代々の領主から常に厚遇され、江戸時代には幕府から朱印を頂く格式をもち、境内の「地蔵堂」「旧法宝蔵」は、水戸徳川家二代藩主・光圀公によって建立されました。この旧法宝蔵を明治四十年(1907年)に修復の際、蔵の中から慶長小判三十枚が発見されました。これは光圀公が後世の修復費をひそかに蓄えていたものであり、光圀公の学問に対する遠大な配慮と本寺に対する手厚い庇護の表れでもございます。従って現在でも将軍家、水戸徳川家歴代の御位牌を護持しております。なお、本尊は身丈六尺の一木造り行基菩薩一刀三礼真作の地蔵菩薩(六体)でございます。

六地蔵寺が世の脚光を浴びるようになりましたのは、江戸時代の承応三年(1654年)京都智積院の尊宣により刊行された『大日経疏愚草』に六地蔵寺が「我が国唯一の定本である」と明記されたことや、塙保己一の『群書類従』に六地蔵寺版『神皇正統記』『常陸國茨城郡六地蔵寺過去帳』が収められたことなどによります。さらに昭和初期、東京帝国大学教授平泉澄博士等の典籍悉皆調査による目録カード化と『江都督納言願文集』の公刊などが、所蔵本の学問的価値と本寺の名をますます顕彰させることになりました。

これらの寺宝は今日、すべて国及び茨城県の重要文化財に指定されております。また昭和五十六年(1981年)には、新法宝蔵が建立いたしました。近年には、汲古書院より『六地蔵寺善本叢刊8巻』(影印版)、『六地蔵寺本神皇正統記』(影印版)が刊行されるなど、典籍文書類の保存、修理、研究が国や県の指導を得て今も進められております。現在、本寺所蔵の国・県指定文化財は約三千点余でございます。その内特出すべきは、密教法具中、日本の漆工芸のルーツと言われる「根来塗」の紀州根来寺製作を世界で唯一証明する「布薩盥」四点。また、古文書中『神皇正統記(六地蔵寺本)』は現存する同本中大変に古い書写本であると評価されています。