文化財

当山文化財の特長

真言宗の重要な法要である「伝法灌頂」を江戸時代以前(鎌倉時代〜室町時代)の密教仏画・法具類を一式使用して行う事が出来ます。これは全国でも指折りの大変貴重な資料であり、地方寺院では希有な存在です。
又、文化財数は平安時代〜室町時代の物を中心に3,000点余にのぼります。関東では公的機関を除き、金沢文庫、足利学校に続ぐ3番の位置にございます。

主な文化財紹介

根来塗布薩盥 4点 Negoronurisatsurai

年代 室町時代

高さ17.7、径42.0各センチ。底裏に「六地蔵寺ニ対内 細工根来寺重宗本願法印恵範」の銘がある。紀州根来寺での製作が行われていたことを明らかにする我が国唯一の違例であるとともに、銘文に名をとどめる六地蔵寺住持恵範の没年が天文十三年であり、製作年の下段を知り得るのは重要である。胴部にかけた上下二本の箍の間を木地塗りとして裏面を黒漆とする以外は、ことごとく朱漆の上塗りをほどこしている。今では脚部など外面に朱色をとどめるのみで内部はほとんど下地の黒を露出しているがそれは上塗りの朱漆が意外に薄塗りであったことを示しており、根来塗研究上注目される事例である。

神皇正統記 Jinnou-shoutouki

年代 室町時代

南朝の北畠親房によって論述された「神皇正統記」は、中世を代表する史論といわれるが、書誌学的には自筆本が確認されていない現在、多くの写本に依拠せざるを得ない。本写本の筆写真は六蔵寺(六地蔵寺)第四世恵潤であり、巻二・巻三奥書から大永八年(一五二八)に筆写を了えたことが明白である。現存写本は全三冊で、平成五年(一九九三)に補修されて、虫損の修理や綴糸の交換、表紙の交換などが了えている。明治以来、所在不明とされた本書本が六地蔵寺所蔵に復し(一九九三)、諸写本の研究に改めて新たな課題を加えたことからも、本書の写本としての価値がすこぶる高いことがわかる。

絹本著色両界曼荼羅 Kenponchakushoku-ryoukaimandara

年代 室町時代

  • (上)金剛界縦一五六・八、横一三一・九センチ
  • (下)胎蔵界縦一五七・〇、横一三一・九センチ

両界曼荼羅は金剛界、胎蔵界からなり、真言宗密教教理の根本を示すもので、金剛界は表現の世界、胎蔵界は内在の世界を大日如来で図解し、密教修法のために祀られる、本図は真言寺院で一般に祀られる空海請来の通途のものに属し、諸仏の数もほぼ一致する。賊彩、描線ともに当初の彩色がよく残るが、像容表現にはやや崩れがみられ、制作は室町時代前半頃と考えられる。なお金剛界の画幅裏に墨書銘があり、六地蔵寺中興の宥覚から代々弟子達に伝えられたことと、度々修理が行われたことを知ることができる。

絹本著色十二天立像 Kinumotochakushoku-junitenryuuzou

もともとは、古代インド神話の神々、さらにバラモン教、ヒンドゥー教で説かれてきた神々である。それが護法神として仏教に取り込まれ、とくに密教系寺院では、灌頂など修法の場において、魔性が侵入するのを防ぐ役割をになった。具体的には八方の方角、天と地、および太陽(日)と月である。本像は、一天ずつ十二幅に仕立て、それぞれ荷葉座・瑞雲などに立ち、上部には月輪中に種子を配する。構図的に教王護国寺詫間俊賀本に近いが、制作は十六世紀とみられる。

絹本著色真言八祖
(伝持の八祖)像
Kinumotochakushoku-shingonhasso
[denjinohasso]zou

密教はインドで起こった。密教という言葉は秘密仏教の略である。つまり、釈迦の教えを言葉や文章で分かり易く、具体的に説く仏教(顕教)とは異なり、神秘的、抽象的な教えである。また師匠である僧が、正統な後継者とみなした弟子にのみ、灌頂儀礼のなかで、口頭や動作を以て教えを伝える仏教である。その詳細は第三者に決して口外してはならない(秘事口伝)。密教の流れは、中国(唐)の僧にも受け継がれ、そして九世紀の初めに、唐に渡った空海(弘法大師)がこれを継承して日本にもたらしたのである。それを基盤に空海は真言宗を開いている。真言宗の寺院では、空海までの三国(インド・中国・日本)八代に及ぶこれら正統の祖師を八祖大師と呼ぶ。この八祖は二つの系譜としてとらえられる。ひとつは、大日如来→金剛薩?→龍猛→龍智→金剛智→不空→恵果→空海の系譜である。これを「付法の八祖」と称する。このうち、大日如来→金剛薩?は仏界の存在であるとし、この如来・菩薩に代わって、現世の僧である善無畏→一行を加え、龍猛→龍智→金剛智→不安→善無畏→一行→恵果→空海の系譜もある。こちらを「伝持の八祖」と称する。六地蔵寺所蔵の真言八祖は、「伝持の八祖」である。八祖を各僧一幅ずつに仕立てる。いずれも礼盤に結跏趺坐し、足下には浄履(履き物)と水瓶が置かれる。各幅とも上部には三色の色形紙があり、金泥を用いた絵画がかすかに残る。

羯磨 Katsuma

輪宝と同じく、インドの投擲用武器を起源とする。梵語の業・所作を意味するカルマ(Karman)と区別するために、カルマヴィジュラ(karmavajra)、すなわち羯磨杵と呼ばれる。さらに、三鈷杵を十字に組み合わせた形であり、このため十字金剛とも称される。六地蔵寺には、二つの材質、三つの形態からなる羯磨が所蔵されている。銅製羯磨は、中心の半球形のまわりに間弁付きの重弁八葉と蕊を巡らし、ここから四方に鈷根部分を蓮弁帯で飾った三鈷形を出す。木製羯磨は素木のものと、金泥を塗った塗金のものがある。木製素木羯磨(四点)は、中央の円形から単弁に間弁を交えた蓮弁が付き、四方に三鈷形を出す。木製塗金羯磨(四点)は、円形の中央に蕊、および間弁を交えた二十単弁の蓮弁がめぐる。ここから四方に蕊のある蓮弁帯で飾った三鈷形が出る。銅製羯磨(三点)は線刻での表現が多い。いずれも十六世紀の作とみられる。

輪宝 Rinpou

もとはインドの投擲用武器であり、密教に取り入られてからは、煩悩を打ち砕く法具となった。ちなみに、仏教を説くことを煩悩を破ることにたとえて、転法輪とも称するが、これは輪宝によって煩悩を打ち砕くことに由来する。さらに、図案化もなされ、戒体箱、説相箱などの飾りにも用いられる。形状をみると、中心となる轂(ハブ)には宝相華の文様がある。轂から八方向に伸びる輻(スポーク)は独鈷杵状であり、車輪にあたる?(ホイール)を貫通して、そのまま鋒(切っ先)になるものもある。?は内側に二重圏線がめぐり、ここを花弁帯と連珠文帯、あるいは花弁帯と無文帯とする。?の外側は円形、あるいは八角形とする。鋒は幅の延長としての突起とするもの、あるいは突出した鋒を作らず八角形の?の各辺を刃状の断面とするものに分かれる。六地蔵寺の輪宝は銅製、そして木製素木、木製でさらに金泥を塗った木製塗金など、材質や加工の特徴からみれば、三タイプがある。いずれも、十六世紀の作とみられる。

金剛杵 Kongousho

金剛は宝石のダイヤモンドを意味し、金剛杵とすることで武器を指す。さらに密教に取り入れられると、あらゆる煩悩を打ち砕き、悪魔を降伏させる法具となった。形状をみると全体としては、名称のとおり杵形であり、細部をみると、中央が中高となった把手となり、その両端に鈷(刃)が付く。また、把手には球状の飾りが付く場合があり、ここを鬼目という。さて金剛杵のうち、独鈷杵は仏と人間の一体化、三鈷杵(狭義の金剛杵とは、三鈷杵を意味する場合もある)は、人間の三業(身口意が起こす悪業)を仏の三密(仏の身口意のはたらき)に変えること、五鈷杵は仏の五智(大日如来の五つの智慧)を表す。さらに、両端を如意宝珠をつけた宝珠杵、あるいは、宝塔を付けた宝塔杵もある。六地蔵寺には、このうち十六世紀の独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵・宝珠杵が所蔵される。また、材質は金銅製がほとんどであるが、六地蔵寺には木製(素木と塗金)の金剛杵もある。

金錍 Konbei

もとはインドの眼科用医療器具とされる。患者の病んだ網膜を切開したことから転じて、灌頂の際、受者の無知の「網膜」を切開して、仏心眼を「開眼」させる儀礼で用いられる。金剛杵の把部の両端に宝珠を付けるかたちである。そのため、両珠金錍とも称する。六地蔵寺には、金剛製と木製の金錍を所蔵する。いずれも十六世紀の作とみられる。

寄木造 香象 Yosegidukuri kouzou

密教で灌頂を行う道場の入口に置く、象の形をした香炉である。灌頂儀礼において、受者は目隠しをして、これをまたいで身を浄め、入場する。この像は、首部・胴体を左右合わせとし、背中の火炉を入れる箇所を刳りぬく。四足はそれぞれ個別に造り、胴部に柄差しする。火炉は欠失する。

木製黒漆 角盥 Mokuseikrourushi tsunodarai

得度、あるいは灌頂の際に、うがい、手洗いの水を張る。器上部の左右に二本ずつ、計四本の角状の把手が付く。口縁は内側に向き、底部には高台が付く。十六世紀の作とみられる。

銅板製 宝冠 Doubansei houkan

伝法灌頂のうち、五仏灌頂印明(灌頂にて得る遍照尊・不動尊・宝生仏・無量仏・不空成就仏の印相と明呪)が終了した証として、授者は受者の腕に臂釧を付け、併せて受者の頭に宝冠を被せる。如来の智慧を象徴するといわれる。本資料は銅板に宝相華の透彫りがあり、四方に瓔珞(本資料ではその痕跡のみ)、瑞雲と日月の飾り、および簪が付く。十六世紀の作であろう。

木製黒漆 楾 Mokuseikurourushi hasou

角盥とともに、得度・灌頂などで使われた。これを用いて水を角盥に注ぐ。つまみのある蓋が付く。本体は上部が張り、大きく下に向かってすぼまる。底部には高台が付く。注口は本体のほぼ中央に付き、上に向かって緩やかにくねる。角盥と同じく十六世紀の作であろう。

明鏡 Meikyou

明鏡とは、灌頂を受けた者が確固たる金剛心(ゆるがない心)をもったことを確認させる鏡である。六地蔵寺所蔵の明鏡は、裏面は縁がほぼ垂直に立ち上がり、その内側に界圏が廻る。ただし、二羽の雀と萩の構図(萩双雀鏡)は、界圏を区画とせず、裏面一杯に描かれる。中央には紐と紐座がある。朱漆塗八葉蓮弁付鏡筥に納められる。他の灌頂関係の法具より、時代は遡り、十五世紀段階の作であろう。

龍輪宝羯磨文戒体箱 Ryuurinpou-katsumamon-kaitaibako

戒文(僧侶として守るべき約束事)を納める箱である。長方形の木箱に銅板を貼り、銅製細板で縁取りして、それを鋲留する。左右側面には紐を附けるための環状金具が留められる。側面は龍文、輪宝文、羯磨文などが浮き彫りされる。

輪宝羯磨文説相箱 Rinpou-katsumamon-sessoubako

僧侶の説法の際に脇机に置く、銅板を貼った長方形の木箱で、文書や法衣などが納められる。二箱を上下に重ねる二合一対であり、下の箱の縁には蓋がかりがある。各面とも銅板を鋲留するかたちである。側面の上部には輪宝文と羯磨文が浮き彫りされ、下部には格狭間がつくられる。

水晶製五輪塔形舎利塔 Suishousei-gorintoukei-sharitou

小型の舎利容器である。空輪・風輪・火輪、水輪、地輪の三部材からなる。水輪に穿った孔に舎利を納める。火輪底面の柄が水輪の孔の栓となり、また水輪底部の柄を、地輪の孔に差し込む構造となる。空輪・風輪の形状、火輪の軒の反りなどには、十三世紀の特徴があるが、地輪の形状も勘案すると十四世紀初頭の制作とすべきであろう。

六角宝幢形経筒 Rokkakuhou-doukeikyouzutsu

銅板に鍍金のよく残る小型の経筒である。宝珠・露盤のある六花形の笠状屋蓋、この六隅から瓔珞が垂下する。六角形の筒身の上部には蓮華文のある帯金具が、その下部には縦連子がめぐる。荷葉座には葉脈が線刻される。塔身の各面には釈迦如来、文珠菩薩、普賢菩薩、騎馬武装の将軍地蔵、烏天狗、毘沙門天を線刻するほか、各面の各像の下部には、次の銘文が刻まれる。

八幡大菩薩護守 天照皇大神宮護守 春日大明神護守 十羅刹女 
常州府中平慶幹 奉納経王一國二部 三十番神 弘治三年五月吉日

このことから、弘治三年(一五五七)に、府中(石岡市)の豪族・大掾慶幹が奉納したことがわかる。また、経塚に埋納する例が多い経筒のなかで、伝世品であることも珍しい。

四脚門(中門) Shikyakumon

年代 室町時代

この門は、日本の本柱の前後にそれぞれ控え柱をたてた簡素な造りであり、規模も小さいが、細部様式は室町時代末期の特徴を残している。

本柱は、角柱で上部を細めに作り、棟まで伸びている。垂木もこの時代にふさわしくその先端に強い反りをつけた造りを用いている。頭貫の木鼻や肘木に見られる絵、繰り型などは薬王院(水戸市元吉田町)本堂のものに類似している。

六地蔵寺旧法寳蔵 Rokujizouji-kyu-houhouzou

年代 江戸時代

六地蔵寺境内に位置し、水戸藩第二代藩主徳川光圀の命により建立された寺宝の収蔵庫である。

明治四十二年、蔵の改修のために調査したところ、慶長小判三十枚が隠されており、さらなる調査の結果、光圀自身が将来の法寳蔵修繕費として置いたものであることが判明した。光圀公の深遠なる歴史認識を語る代表的な建築物。

地蔵堂 Jizoudou

年代 江戸時代

この堂は、江戸時代中期の元禄時代に限られる裳階付きの仏堂である。外観は屋根が二階であるため二階建て風に見えるが、屋根裏の高い平屋立てであり、この建築様式の特色を示している。平成三年、堂の老朽化による解体修理の際、屋根の下層が銅版葺で上層が茅葺であったものを、荷重による小屋組への影響や将来の保存などへの理由から、上下層とも現在の銅版葺に改修した。小屋組・梁に元禄十三年(一七〇〇)の墨書があることから建築年を断定することができ、また水戸藩第二代藩主徳川光圀公最晩年の寄進によるもの。

堂内に本尊六地蔵菩薩立像を安置する。

六地蔵寺のシダレザクラ Rokujizouji no shidarezakura

六地蔵寺境内の中央にあるエドヒガン系のイトザクラで、小枝は下垂する。華は淡紅色、樹姿はきわめて優美である。胸高径二・五メートル、樹高は約十メートル。徳川光圀公が本寺院に参詣された時、その美しさに深く感銘したと伝えられている。現在の樹はその子供で、樹齢は約百八十年といわれている。樹勢も旺盛で枝張りもいい。他に、この樹の子供が三十本以上花を咲かせている。

六地蔵寺の大銀杏 Rokujizouji no ooichou

六地蔵寺境内にあり、胸高直径六、根回り十二、樹高約三二各メートル。樹勢は旺盛。

イチョウは中国原産の樹であるが、昔から庶民に愛され、火に強く類焼を防いでくれる為、特に神社仏閣の境内に植えられた。樹齢は八百年。

六地蔵寺の大スギ Rokujizouji no oosugi

六地蔵寺境内にあるスギの巨樹で、胸高直径六・九、根回り九・三、樹高約三十三各メートル。スギの天然記念物は日本海側に多く太平洋側では少ないのであるが、海に近い平野部にあり、樹勢も旺盛で根張りもいい。樹齢は千百年。